夏の京都 島原・輪違屋 「輪違屋糸里」の舞台 特別公開 2014年9月(3)

  • 2014/10/16
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9月30日までだった、京の夏の旅。いつも興味深い文化財の特別公開をしてくれるのですが、今回は、島原の輪違屋が特別公開されているということで、是非行ってみたいと思っていました。理由は、浅田次郎の「輪違屋糸里」という小説を読んだことがあったからです。糸里という遊女が輪違屋にいたという記録はないそうなのですが、花街の雰囲気や人間関係、新撰組とのエピソードなどが小説としては面白かったので、その舞台となった輪違屋が見学できるならば!と。

JR京都駅からは、バスで「島原口」まで行って、徒歩7分。

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こちらが、島原大門。京都市の有形文化財です。江戸の吉原、大阪の新町、そして京都の島原は、幕府公認の遊郭として、周囲を堀で囲い、一か所大門を作ることで、治安の確保と遊女の逃亡を防ぐといった目的があったようです。
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島原の謂れが書かれています。実は島原という地名はなくて、寛永18年(1641年)に、六条三筋町から現在地への移転の際の騒動が「島原の乱」のようであったことから「島原」と呼ばれるようになったとのこと。はぁ~、知りませんでした。
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大門からすぐのところに輪違屋はあります。現在もお茶屋さんとして営業されているそうで、「観覧謝絶」と書いた小さな札か掛かっていました。これは「一見さんお断り」の意味だそうです。
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輪違屋は、もともとは太夫や芸妓を抱える置屋で、お茶屋さんとしての営業は明治初期からだそう。今回は1階のみ写真撮影可能で、2階は写真撮影不可です。
建物の特徴は、意匠に凝っている点だそうで、上の写真にある縁側の継ぎ目はわざと模様のようにギザギザにしてあったりするそうです。
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縁側の軒も庭がよく見えるように柱がない造りになっています。昔は向う側の建物がなくてお庭はもっと広かったそうです。
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襖に貼ってある昔の手紙のようなものは、贔屓客にお越しを願うための手紙の下書き。これもお部屋のインテリアとして使ったのだそうです。
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何と書いてあるのかは、わかりませんが、女性らしい字やいかにも下書きっぽかったり、いろいろありました。
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こちらのお軸はたぬきでしょうか?
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こちらはマリア灯篭と言われているそうで、灯篭の下の部分に女性らしき像が彫られています。
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このお部屋は「主の間」という1階の主座席で今でも使われているそうですが、この↑新撰組の近藤勇の書を屏風に仕立てたものがあります。新撰組の時代には、輪違屋は置屋だったので、お抱えの太夫や芸妓がお座敷に呼ばれた際に、近藤勇に一筆もらって帰ってきたものらしいです。
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2階には、入り口入ってすぐの階段を上ります。これが急で!手すりにつかまらないと転げ落ちそう。
この階段の上には球体の鏡(説明の方はミラーボールと言ってましたが)があって、座敷の出はいりで別の宴席のお客様と鉢合わせしないように、お店の人が確認するためのものだとか。

また、2階では「傘の間」「紅葉の間」「太夫の間」が見学できました。

「傘の間」は、現役のお座敷で、襖が銀箔の無地に道中傘(太夫が「揚げ屋(宴席が行われる格式ある料亭)」まで行く際に使う傘。禿などを引き連れて大名道中のように練り歩くためその名がついたそう)の紙を貼ったそう。今でも数名の太夫を抱えていて、本当に同じ柄の道中傘を使うとのこと。高島屋の高の字と同じ書体の「高」が入っていて、これは当主が高橋家だからですって。「輪違屋糸里」の文庫版の最後に、作者・浅田次郎と御当主高橋氏の対談が入っていたのを思い出しました。DSCN6068
この入場券の写真にあるのが、傘の間の襖です。
また、床の間には桂小五郎筆の掛け軸が飾られていましたが、これは近藤勇の書に対して、とても豪快な字体です。

「紅葉の間」も現役のお座敷。お部屋の名前は壁にもみじがちりばめられているから。この紅葉は本物の紅葉を塗り込んで乾燥後に取り出し、そこへ顔料などで着色したものだそうです。結構鮮やかできれい。夜だともっと趣が出るだろうと思います。

「太夫の間」は、太夫の控えの間。太夫の打掛がかけられているのですが、小さくて、太夫は小柄なのかな?もちろん昔の人は小柄でしょうけど、髪を結ったり、簪など髪飾りがたくさんあったり、履物などで実際の身長よりかなり大きくなってしまうので、小柄の方がいいそうです。
伊藤博文と馴染みを重ね、「維新の名花」と言われた桜木大夫は輪違屋の抱えだったそうです。

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